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マルタ----ヨハネ騎士団によって築かれた城塞都市
 マルタ共和国は2つの島(マルタ本島とゴゾ島)と無人に近い小島群とからなる。 総面積320kmというから、沖縄の西表島より僅かに大きい程度。 人口は35万人だから、ヨーロッパの中でも人口稠密である。

 ご多分に漏れず、マルタは古代ローマ帝国の領土であったが、6世紀半ばには東ローマ帝国に支配された。 9世紀にはアラブの支配を受け、キリスト教徒は特別の税金を支払わなければならなくなった。(イスラムの常として、迫害はされなかった) 11世紀末にはノルマンに征服され、キリスト教が復活した。その後、シチリア王国の領地となり、16世紀のマルタ騎士団の時代を迎える。 騎士団の衰退後、ナポレオンの略奪に会い、マルタはイギリスに救いを求めた。

 イギリス軍がマルタに上陸し、1798年にフランス軍は撤退した。 イギリスの統治は、1964年にマルタが共和国として独立するまで続いた。 因みにマルタでは車は右側通行である。

 私達はシチリアから空路でマルタに入国した。 (2001年4月)
 
ヨハネ騎士団長の
宮殿にある甲冑
 

 
ム デ ィ ナ
 ムディナは、マルタ本島の中央部の小高い丘の上にある。 かつて騎士団員が闊歩した町も、今は 「静寂の町」 といわれている。
 
2つの鐘楼のある大聖堂 大聖堂の床には華麗な色大理石の墓碑が並ぶ
ヨハネ騎士団員のものだろうか
 
大聖堂の天井に描かれた聖人のフレスコ画
 

 
ブルー・グロットー
 マルタ本島の南端にあるブルー・グロットーは、マルタ版 「青の洞窟」 ともいわれる。
 
モーターボートで30分ほどの遊覧をする。 海の美しさは、カプリ島の青の洞窟に勝るとも劣らない。 海の色は、「太陽光の水中での散乱」 と 「海底での反射」 で決まるのではないかと思われる。
 

 
ハガール・キム神殿
 マルタ本島の南端、ブルー・グロットーの近くにある、この神殿は、紀元前2700年頃の銅時代に建設されたと考えられている。 エジプトのピラミッドよりも古いことになる。
 
神殿の全景  内部は幾つかの小部屋に分かれている。
 
円穴の向う側に巫女が居て神託を告げたという。 マルタのヴィーナス
(ヴァレッタの考古学博物館で撮影)
向こうの文様は羊か、手前は生贄を捧げる台か。 神殿の周りに、薬用・香辛料植物アニスが自生していた。
 

 
ヴ ァ レ ッ タ
 マルタ共和国の首都ヴァレッタは、1565年のトルコ軍によるマルタ大包囲戦に勝利の後、築かれた城塞都市である。 マルタ観光の最大の目玉は聖ヨハネ騎士団の史跡である。 十字軍はキリスト教徒の聖地エルサレム巡礼の保護を目的に作られた。 この十字軍の遠征を支えたのが騎士団である。 聖ヨハネ騎士団は1113年に創立され、紆余曲折を経て1530年にマルタに聖ヨハネ騎士団の本拠地が置かれた。 後にマルタ騎士団と呼ばれるようになった。

 騎士団員はヨーロッパの貴族の次男以下の子弟により構成された。 戒律は厳しく、清貧と貞潔を誓い、イスラム教徒には徹底交戦が義務付けられた。 一方、マルタには団員の親から莫大な経済援助があり、今日我々が見ることのできる建築や装飾はこのお蔭(?)である。
 
シティ・ゲート  ここを通って町に入る 海の見えるヴァレッタの路地
 
カスティーリアのオーベルジュ(騎士団の館)
オーベルジュの中で最も大きい
オーベルジュの入口
 
ヴァレッタの展望台  (3枚の合成パノラマ)
 
騎士団長の宮殿 宮殿内の兵器庫通路
色大理石が床を覆い、両側に甲冑が並ぶ
 
最高審議の間
 
聖ヨハネ教会堂美術館にあるカラヴァッジョの油絵 「聖ヨハネの斬首」
 
同 「聖ヒエロニムス」 (いづれもフラッシュ撮影禁止のためスローシャッタで)
 

 
ガンディーア神殿
マルタ本島からフェリーで25分のゴゾ島には、教会が多い。 ゴゾ島の中央部にあるガンディーア神殿は、紀元前4世紀に作られた巨石神殿。
 

カリプソの洞窟
カリプソの洞窟は、ホメロスの叙事詩 「オデッセイ」 で歌われた、美しい妖精カリプソがオデュッセウスを 「愛の虜」 として7年間閉じ込めた洞窟。 洞窟は変哲もないが、そこからの海の眺めが素晴らしい。 (3枚の合成パノラマだが、うまく繋がらない)

 
アズレ・ウインドウ
ゴゾ島西端にある侵食で出来た、高さ20m、幅100mのアーチ
 

 
ヴィクトリア
ゴゾ島のバロック様式の大聖堂 資金不足のため大聖堂のクーポラはなく、騙し絵になっている。
 

マルタ騎士団のこと
 
 昨年訪ねたエーゲ海のロドス島に居を構えたロドス騎士団はトルコ軍との戦いに敗れて退去したが、引き取り手がなく放浪していた。 7年後の1530年にやっとマルタに移住し、マルタ騎士団として再編成された。 さらに35年後に、マルタ騎士団は、5万のトルコ軍を迎え撃ち、見事に撃退した。

 ロドス時代に20代だったフランス出身の騎士ラ・ヴァレッテは、マルタでは71歳の騎士団長として、積年の恨みを晴らすことができた。 聖ヨハネ騎士団の歴史は、信仰の力と人間の愚かさを物語っている。 そんなことを考えながら、マルタ島を後にした。

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