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フィンランド----オーロラと北極圏の生活を訪ねる
 北欧といえば、福祉先進国、ヴァイキングの末裔、白夜とオーロラ、ノルディック・スキーなどが心に浮ぶ。 中でもフィンランドではラップランドという極北の生活がなぜかロマンを呼ぶ。
 フィンランドは原始時代からスウェーデンとロシアの東西二大勢力の衝突の場であった。 12世紀以降は、実質的にはスウェーデン国王の支配下にあったが、1809年にロシア皇帝を君主とする自治公国としてロシアに併合された。 1917年のロシア革命に乗じてフィンランドは念願の独立を達成した。
 しかし第二次世界大戦ではドイツ側についたため、ソ連の攻撃を受け、巨額の賠償金を課せられた。 戦後、不可能といわれてきた過酷な賠償金を半分の期間で払い終え、先進民主主義国家を築いたという。
 今回、冬のフィンランドとノルウェーを訪ねる15日間の個人旅行に妻と出かけた。 まずは前半のフィンランドの旅をご覧下さい。  (2001年2月)
 
 オーロラ

ロヴァニエミ
 成田を正午頃に発ったフィンエアーの飛行機はその日の夕方1時間遅れてヘルシンキに着く。 そのためロヴァニエミ行きの乗り継ぎの飛行機に間に合わず、やむを得ずオウルまで飛んで、そこからバスで4時間かけて、深夜のロヴァニエミのホテルに着く。
 ロヴァニエミはフィンランドのラップランド県の県都。 北極圏のわずかに8km南にある。
オーロラ
 ホテルに着いて荷物を解いていると、「いま、オーロラが出始めましたよ」 とフロントからの電話。急いで近くの山頂のスカイホテルへタクシーで駆けつける。

 以下の写真の撮影条件は
   フィルムJIS800、f=20mm、F=2.7、T=10sec
北の空に出始めたオーロラ 次第に上空に伸びていく
噴出するように成長したオーロラは、満月のように明るい。アリストテレスが 「1点から光が吹き出し、天が裂けていく」 と表現したのはこのことだろうか。 「黒キツネの尻尾が舞い上げた粉雪が太陽の光に染まり、それがオーロラになった」 というサーメ人の伝説が思い出される。
やがてカーテン状になり全天を覆う。ひと時も止まることなく揺れるように動くかと思えば、突然形を変える。
やがて淡くなったオーロラを透して星々が見え、感動のドラマは1時間程で幕となった。
 オーロラは、太陽から飛んできた電気を帯びた粒子(太陽風)が、地球の大気と衝突し発光するもの。地上100〜500kmの高さで生じる。
 ではなぜ北極と南極の付近でだけで生じるのだろうか。太陽風は地球の磁場に遮られて地球に近づけず、磁場の弱い所にプラズマシートとなって貯まる。これが、磁力線に沿って夜の両極の空に降り注いで、オーロラが発生すると考えられる。
オーロラの発生原理
(上出洋介著「オーロラ」より
 今年は太陽活動の最大期なので、オーロラの出現を期待したが、成田を出発した当日の夜にお目にかかれるとは驚いた。ところが、その後2週間北欧に滞在したが、ついに再び見ることが出来なかった。フィンランドの学者によると、
    晴天になる確率=2/7、 オーロラが発生する確率=1/3

であるから、
    オーロラが見える確率=(2/7)×(1/3)=
0.1
となり、2週間に1度見えたことでよしとせざるを得ないのだろう。


 なお、オーロラ(aurora)はローマ神話の曙の女神オーロラに因んでガリレオがつけたといわれている。北欧の一般の人には、むしろ極光(northern lights)の方がよく通じた。
アルクティウム
            北極圏に関する博物館アルクティウム
ラップランドの自然、歴史、生活、特にサーメ人の衣装などが詳しい。 ロヴァニエミ市は第2次世界大戦でソ連に破壊されたが、立派に復興させたことを模型で示していた。 
サンタクロース村
ロヴァニエミから北へ8km、北極圏 Arctic Circle 上にサンタクロース村がある。サンタグッズのショップや次のクリスマスに配達されるクリスマスカードを出せる郵便局がある。ウドンが美味かった。

レ ヴ ィ
 今回のフィンランド旅行の目的は、オーロラとスキーとラップランドの生活を垣間見ることである。 北欧はアルプス地方と異なり高い山がなく、スキーといえばクロカンなどのノルディック・スキーが中心である。 とはいうものの少しでも高い山のあるレヴィに滞在することにした。 
この頃になるとフィンランド語も少しは推測できるようになり、バスセンターを見つけることが出来た。 ロヴァニエミから長距離バスで2時間半、森と湖の平地ばかりのラップランドに、突然雪山が現れる。 これがレヴィ山(標高531m)である。
レヴィの初日はレヴィ山頂のレストラン トイックでオーロラ・ディナーを食べる。 生憎の天候でオーロラは見えなかったが、サーミの音楽を聴きながら、トナカイの冷燻製肉とパテ、雷鳥の胸肉のバター焼きなどを賞味する。 いずれもフィンランドのスーパーでも売っており、決してゲテモノではない。
テレマーク・スキー
レヴィのスキー場とお土産屋 私はテレマーク・スキーを、妻はアルペン・スキーを借りる
クロスカントリー・スキー
翌日と翌々日はクロスカントリ(XC)スキーに出かける。 隣村への19kmとレヴィ山一周の18km。 こちらでは子供からお年寄りまで、みんな自分のペースで楽しんでいる。
レヴィ周辺には230kmものXCスキーコースが整備されている。 (左)広い道では両側にXCスキー用のトラックが切られている。 もちろん右側通行。 (中)自動車道路との立体交差、左はスキー用、右はスノーモービル用。 (右)スキーコースとスノーモービルコースとが交差する場合には、必ず双方に安全のための標識がある。 フィンランドではXCスキーが立派な市民権を与えられていることが分る。
フィンランド式サウナ
ラップランドのホテルには各部屋にプライベート・サウナがある。いわゆるフィンランド式サウナである。左から洗面台、トイレ、サウナ、シャワー。 スポーツの後のサウナはすこぶる気持ちがいい。 サウナ室には石の下に電気ヒーターがあり、時々石に水を掛けて蒸気を発生させて、体を温める。
ゴミの分別収集
フィンランドではゴミの分別収集はかなり徹底しているようだ。 (左)レヴィのホテルの室外のゴミ箱(混合ゴミ、再生可能紙、ガラス、危険物の4種) (右)ロヴァニエミのホテルの室内のゴミ箱は、なかなか上手く出来ている。
トナカイサファリー
トナカイ牧場で観光トナカイそりを楽しんだ。 御者はいないが、トナカイは道を覚えていて、森と湖を一周してくる。
レイダル・サレストエミ美術館
ラップランドの画家レイダル(1925-1981)のアトリエを見学する。 この辺りは沼地が多いので、夏はカヤが必要とのこと。
ギャラリーを案内してくれたのはサーミ人のヘリさん。 ラップランドの風景や女性画が多く、色彩は強烈である。

ヘルシンキ
ヘルシンキ中央駅  −12℃のツルツルの道路をヘルシンキ子は平気で歩く 1872年建造の国立劇場
バケツとシャク
 
温度計と湿度計
 
3人の鍛冶屋の彫像の向こうは、創業200年を誇るストックマン・デパートである。 ここに家庭用のサウナ用品を置いていた。
元老院広場を見下ろすように堂々とそびえるヘルシンキ大聖堂 1852年に完成したルーテル派の本山 大聖堂を背に市庁舎を睨むロシア皇帝アレキサンダー2世像     市庁舎
この辺りはドイツ人建築家エンゲルの設計になる新古典主義の建物が並ぶ
北欧最大のロシア正教のウスペンスキー寺院 ヘルシンキ港にはバルト海の大型フェリーが寄航する 港に面したマーケット広場の朝市
シベリウス公園には、フィンランドの代表的作曲家シベリウスを記念して1967年に制作されたステンレスパイプのモニュメントとシベリウスの肖像のオブジェがある。
ヘルシンキ空港はフィンランド特有の針葉樹の林の中にある。 オスロはヘルシンキのほぼ真西に当る。 夕方ヘルシンキ空港を離陸した飛行機から窓の外を眺めていると、空はなかなか暗くならない。 かえって明るくなってきたような気がする。 西に飛べばローカルタイムが遅れるのは何時も経験するが、時刻が逆転するのは初めての経験だ。 機内で配られたナプキンの片隅を使って計算を試みる。

      
赤道上での地球の自転速度V1=40,000km/24h=1,667km/h
        ジェット機の飛行速度V2=900km/h

 
∴ 見かけ上太陽が止まって見える緯度α=cos-1(V2/V1)≒57°

つまり、緯度が57度よりも高い北極や南極に近いところをジェット機で真西に飛べば、太陽が西から昇ることになる。 ヘルシンキとオスロの緯度は共に約60度だから、こんなことがあっても不思議は無い。 電卓を叩いている内に、飛行機はオスロ空港へと降下し始めた。

フィンランドは、食よし、人よし、景色よし。 食物のお話は時間切れになりましたが−−−  最も印象深かったのはオーロラです。 再現します。 

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