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中国青海省とチベット(1)----青海省、青蔵鉄道、チベット自治区ラサまでの

 1年前にシルクロードをパキスタン国境近くまで旅したとき、次は、
チベットだと決めていたが、なかなかその機会がなかった。 2006年に青海チベット鉄道が全線営業運転を開始し、この鉄道でチベット入りしてチベット仏教の寺院を訪ね、エベレストをチベット側から眺め、ヒマラヤを横断してネパールに抜けてみたいたいという欲望が高まった折しも、ユーラシア旅行社に私の希望にぴったりのプランがあることを知り、早速資料を取り寄せた。

 チベットが鎖国していた1901年(明治34年)に世界の探検家に先駆けてラサ入りした仏教学者で探検家の河口慧海が著した「チベット旅行記」ほど面白い探検記を読んだことがない。 河口慧海が学んだラサのセラ寺も訪ねてみたい。 「チベット旅行記」に後押しされて、15日間の旅に妻と出かけた。

中国青海省とチベットの旅(1)
  
青海省、青蔵鉄道、チベット自治区ラサまでの
中国青海省とチベットの旅(2)
  
ラサ、エベレスト展望、ヒマラヤ横断、カトマンズへの旅


である。 合せてご覧下さい。
              (2007年9月)
ラサのポタラ宮

国名省名 中華人民共和国 青海省 チベット自治区
首都・省都 北京市 西寧市 ラサ市
政  治 社会主義人民共和制
1949年中華人民共和国成立、
1945年国連加盟
   
面  積 960万km(台湾を含む)
日本の25倍
72万km
日本の1.9倍
123万km
日本の3.3倍
人  口 13億2185万人
漢民族93%、チワン族、ウイグル族
イ族など55の少数民族
539万人
漢民族54%、チベット族23%、
回族16%
274万人
チベット族92.8%、漢民族6.1%、
回族0.3%
言  語 漢語(中国語)、少数民族言語    
宗  教 道教、仏教、イスラム教2〜3%、
キリスト教1%、無宗教
   
産  業 農業では、革命の象徴であった人民公社は、生産性が向上しないことから85年までに解体され、市場原理を重視した生産請負制を取り入れ増産に成功した。

工業は従来の軽工業に加え、重化学工業や電子産業の伸びが著しい。

発展する沿岸部と対照的に内陸部の多くは取り残され、貧富の格差は社会主義の理念を脅かすまでに拡大、最重要課題になっている。

1次産業12.4%
2次産業48.8%
3次産業38.8%

1次産業20.5%
2次産業27.2%
3次産業52.3%
1人当
GNI
2010米ドル/年 日本の1/19
(2006年)
1人当域内総生産1230ドル/年
(2006年)
1人当域内総生産1509ドル/年
(2006年)

中国青海省とチベット(1)と(2)」の地図 (西寧〜カトマンズ)


中国青海省とチベット(1)」の詳細地図 (西寧〜ラサ)



(1日目) 成田→北京→西寧青海省

2007年9月17日に成田空港を中国国際航空で発ち、北京乗り継ぎで、中国青海省の省都「西寧」の空港に20:30分に着く。 明日から、15日間の中国からネパールまでのヒマラヤ越えの旅が始まる。



(2日目) 西寧滞在タール寺、イスラム寺院など

青海省の省都である西は、標高2250m、古くはシルクロードの南ルートの要衝として栄えたという。 人口は205万、もちろん漢族が一番多いが、イスラム教徒である回族も多い。 青蔵鉄道(青海チベット鉄道)の起点でもある。

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西寧のホテル ホテルからの眺め



タール寺(クンブム)

タール寺は、チベット仏教ゲルク派の6大寺院の1つ。 ゲルク派の創始者ツォンカパの生誕地でもある。

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土産物店が並ぶタール寺の門前町 店の前で麻雀を楽しむ人達

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タール寺の入口の門 門を入るとすぐに大きな病院がある

如来八塔、八つの宝塔は釈迦の八大功徳を表すという

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大経堂の入口 大金瓦殿広場から大金瓦殿が見える

釈迦佛殿の間から大金瓦殿の写真を撮る(大金瓦殿には撮影ポイントがないようだ)

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大金瓦殿の周りでは、五体投地をしている信者が多い(ただし、ここでは布団の上でやっている)


コーヒー・ブレーク


チベット仏教の歴史
下記は、「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所ホームページ」を参考にした。

仏教の本家本元は、釈尊が生まれたインドである。チベットは、ヒマラヤ山脈を越えてインドの北隣なので、インドの直系の純粋な仏教を受け継ぎ、今日まで守り伝えている。

チベットへの仏教初伝については、様々な伝説が語られているが、本格的な伝来は、8世紀の後半にインド哲学の巨匠シャーンタラクシタと大密教行者パドマサンバヴァを招聘したことに始まる。

11世紀になると、インドから招いたアティーシャという名僧の指導により、チベットの仏教は見事に再生を遂げた。ところがこの時期、本家のインド仏教は衰退へ向かい、13世紀初頭にイスラム教徒の攻撃を受け、滅亡を余儀なくされてしまう。仏教側の最後の拠点だった大僧院の座主はヒマラヤを越えてチベットへ逃れ、大切に守り伝えてきた教えや戒律の全てをチベットの僧侶に託した。このようにして、チベット仏教は、インド仏教の本流をそのまま継承すべく運命づけられたのである。

13世紀の中頃、チベットはモンゴル帝国の襲来を受け、軍事的には屈服せざるを得なかった。ところが、宗教面ではモンゴル人をチベット仏教に帰依させる結果となり、チベットはやがて独立を回復することができた。

17世紀中頃、ダライ・ラマ法王をチベット全土の政治及び宗教両面にわたる最高指導者とする体制が確立され、古代王国が崩壊してから久しく分裂状態にあったチベットは、宗教国家の装いも新たに再統一を果たしたのである。

1959年のチベット動乱以来、チベットの仏教は、かつてない試練の時期を迎えている。とくに文化大革命中に、多くの寺院が破壊され、貴重な文献や美術がうしなわれたことは、人類文化の上からも、惜しみても余りある出来事であった。しかし、ダライ・ラマ14世が指摘したように、チベット動乱は、チベットの優れた人材や知識の海外流出をもたらし、欧米諸国でチベット学の水準を向上させただけでなく、チベットの仏教が広く海外に伝播する端緒ともなった。


チベット仏教の4大宗派
下記は、「ユーラシア旅行社の資料」を参考にした。

ニンマ派 開祖:グル・リンポチェ
「ニンマ」とは「古い」の意味。その名の通り最も古い宗派。8世紀にインドから招かれた密教行者グル・リンポチェを開祖とする。出家をせずに修行する「在家行者」のシステムがある。僧が被っている帽子の色から「紅帽派」とも呼ばれる。
カギュ派 開祖:マルパ
カギュ派は、最初に「転生ラマ」制度を導入したことで知られている。2000年にチベットからインドに亡命したカルマパ17世はカギュ派。現在はインドのダラムサラに住んでいる。帽子の色から「黒帽派」とも呼ばれる。
ゲルク派 開祖:ツォンカパ
15世紀に成立。最も新しく最大の宗派。ダライ・ラマ法王もゲルク派に属している。「黄帽派」とも呼ばれる。最も戒律が厳しく、他の宗派と違い妻帯も禁止されている。ダライ・ラマは観音菩薩の化身とされている。現ダライ・ラマ14世は1959年にインドへ亡命、現在はダラムサラに住んでいる。彼は1989年にノーベル平和賞を受賞
サキャ派 開祖:クンチョ・ギャルポ
11世紀に成立。13世紀には元朝皇帝のもとで権力を誇った。転生ラマ制度ではなく世襲制。



東関清真寺イスラム寺院

青海省最大のイスラム教寺院、1380年の創建。 青海省の人口は約540万。イスラム教徒の回族は、漢民族、チベット族に次いで多く、86万(16%)。

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畑で働く人達 (バスの車窓から) イスラム教徒の多い街に着いた

東関清真寺というイスラム寺院 (中国的な瓦屋根が珍しい)

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穏やかな表情のイスラム教徒 寺院には中国語・イスラム語対訳のコーランがある

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額には、将中正(蒋介石)の言葉が書いてあった。
「どの宗教も国を愛しなければならない」という意味らしい。 共産主義の中国にとって、かつて敵であった
イスラム教徒が礼拝する一室の額に--- 「蒋介石」の言葉が公然と掲げられているのに驚く。



ダライ・ラマ14世の生家

ダライ・ラマ14世は、チベットで最高の活仏。 1935年に青海省のこの小さな村で生まれた。 3才の時にダライ・ラマの転生者として認められてラサにやって来た。

1950年に中華人民共和国の人民解放軍がチベットを制圧、全域を自国に併合し、その後に発生したチベット動乱後、インド北部ダラムサラにチベット亡命政府を樹立したダライ・ラマ14世は、同政府の長としてチベットの高度な自治権の存在を訴え、チベット人に対して中華人民共和国が行った様々な人権侵害行為についての批判などの活動も行っている。

ダライ・ラマ14世は、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、1989年にノーベル平和賞を受賞した。

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為替レートで換算すると、1L当り
   軽油     73円
   レギュラー  69円
   ハイオク   74円
となるが、収入レベルからいうと
高い。軽油がレギュラーよりも高い? 途中のガソリンスタンドで見た価格    のどかな風景

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麦の収穫 祠のある丘の近くにダライラマ14世の生家はあった

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ダライラマの甥 ダライラマ14世の生家は現在改装中、見学者が多いのだろう

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小学校でトイレを借りる 小学校に掲げられた標語

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カメラを向けると、Vサインをしてくれた 屋外で机を並べて勉強


3日目  西寧→青海省博物館→日月山峠→青海湖→チャカ

いよいよ西寧を出発して西に向かいチャカまでの旅が始まった。

青海省博物館

青海省博物館は、小島鐐次郎氏(小島プレス(株)会長)の寄付により2001年に近代的に建て替えられて公開された。 さらに2007年5月にリニューアルオープンしたばかり。 青海省の歴史、民族文物、チベット仏教芸術品などが展示されている。

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博物館正面  ホールには小島鐐次郎氏の胸像が飾られている

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陶器製の紡車

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絨毯用毛糸 古来の絨毯織機

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仏像 タンカ(仏画) 祭事用のマスク



日月山峠

標高3520mの日月山峠は、吐蕃王朝(古代チベット統一王国)と唐王朝の国境だった。 7世紀の唐の文成公主が吐蕃に嫁ぐときもここを経由した。彼女はここで振り返って唐に別れを告げたといわれ、それを偲んで日亭と月亭が建てられた。

日亭(左)と月亭(右)

日亭から、月亭と唐側を見る。 こちらは黄土高原(農業文化圏)である。

日亭から、月亭と吐蕃側を見る。 こちらはチベット高原(牧畜文化圏)である。

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日亭に入る。 内部には石碑とタイル絵があった。



小北湖

小北湖は青海湖のすぐ隣にあるが、淡水湖。 一方、青海湖は塩湖。

運よく、馬に乗った人が駆けて来た

パオの群れ



青海湖

青海湖は中国最大の塩水湖。周囲360km、面積4500km(琵琶湖の約6倍)、30以上の河川が流れ込むという。

手前青海湖(塩湖)、遠方の帯状は小北湖(淡水湖)

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母と子は羊の番? 菜の花畑を散策する観光客

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青海湖遊覧船の船着場

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船着場で使われる電気カート 我々が乗った遊覧船はもう少し大きい 中国軍の元魚雷発射訓練場



シュピサン(橡皮山)峠

富士山よりも高い標高3817mのシュピサン峠には、タルチョ(五色の旗)がはためいていた。


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峠付近の地形は面白い
 
頃動地形がみられる
ヒマラヤ造山運動の影響で隆起したのかもしれない



(4日目) チャカ→ゴルムド(格尓木)

チャカ塩湖

チャカ塩湖の広さは18.5km×9.2kmで、面積は105km
平均の深さは4m、最深部は15m。 現在年間4000トンの塩を生産しているが、埋蔵量は4.5億トンという。 ここは太古の昔に海であったところが隆起したらしい。

チャカ塩湖のトロッコ道を歩く

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ここからは崑崙山脈とキレン山脈の一部が見える 湖面には大粒の塩の結晶が出ている

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干上がった岸辺 塩に強い植物だろう

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植物(その2) 植物(その3)

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白い塩の山からは、白い塩が採れる

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黒い塩の山からは、黒い塩が採れる (黒い塩は埃が積ったもので、工業用に使われる)

人影は見られないが、工場は操業中である (管理職の女性が説明してくれた)



チャカ塩湖からゴルムドへ

チャカ塩湖から青蔵鉄道に乗るゴムルドまでは土漠の中の道を走る。雪を頂く山々と野生の動植物が目を楽しませてくれる。

遠くに崑崙(コンロン)山脈が眺められる

突然、ラクダが現れる

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ラクダが食べる草は、刺のあるラクダ草

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土漠の中に植林地がある 野菜も植えられている やはり灌漑施設がある

ゴムルドに近づくと大きな冷却塔のある発電所が車窓から見えた
原発ではなく火力発電所だろう。日本のように海岸にあれば海水で冷却できるが、内陸の発電所は冷却が大変だろう、効率も悪くなる

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格尓木(ゴムルド)のホテル  珍しく毛沢東の銅像がロビーにあった

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チベット語のテレビ放送があるが、なぜかアナウンサーはワイシャツ・ネクタイにチベットの上着を着けていた



(5日目) ゴルムド→青蔵鉄道→ラサ(チベット自治区)

青蔵鉄道青海チベット鉄道

青蔵鉄道(青海チベット鉄道)は青海省の西寧とチベット自治区のラサを結ぶ全長1,956kmの鉄道、2006年7月に営業開始した。 隔日運行、所要27時間。 すでに西寧からゴルムドまでの814kmは1984年から営業運転されている。 ゴルムド - ラサ間には550 kmにも及ぶ凍土地帯が広がっており、鉄道建設に当たって、それに適した工法が実施された。

青蔵鉄道の開通により、チベット産業の主柱である観光業が飛躍的に発展することが予測されており、また、チベットと中国他省との物流が大きく改善することにより、チベットの産業開発全般にも寄与することが期待されている。しかし、 チベット亡命政府は、自治区内で暴動等が発生した際、中国人民解放軍の戦車部隊等の輸送が容易となることを警戒している。また、チベットへの漢族流入が促進されることで、チベットの「漢化」が一層進み、独自の文化が破壊されることを懸念する向きもある。

今後は青蔵鉄道の支線がシガツェ市まで建設される予定であり、その路線は最終的にネパールとの国境、更にカトマンズまで延伸される計画となっているという。

西寧からラサに行く場合は西寧からゴルムドまでは夜行列車となるので、今回のツアーでは列車の夜行部分は前日にバスで移動し、早朝ゴルムドから鉄道に乗車した。

格尓木(ゴルムド)から乗車した列車はN917で、7:33西寧発・拉薩(ラサ)行

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乗った車両は15両連結の3号車
新空調硬座快速臥車
西寧からの列車は予定通り7:13に到着したが、
7:33の定刻から少し遅れて7:50に発車

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西寧から来た列車は、ゴルムド駅で米国製の高地用のNJ2型ディーゼル機関車に交換する。 ホームを走って写真を撮り、列車に飛び乗る

崑崙山脈の雪山が見え始める

玉珠峰(6178m)

6人部屋の向かい合せの席の中国のお嬢さん、左端の彼女は日本語も
少し喋れるが、主に英語で話す。 おかげで楽しい列車の旅になった。

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標高5000m以上の高所を走る列車なので、酸素吸入装置が付いている  蓋を開けて供気口を押すと、押している間だけ酸素が出る。 車内の加圧はしていない。

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洗面所 給湯器 トイレ

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砂漠の中の道路や線路が砂で埋まることを防ぐため、潅木の枝や麦藁などを植えた正方形の枠「草方格」が作られている 青海チベット鉄道と並行して走る青海・チベットハイウェイは、今でも貨物輸送の幹線だ
 

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ココシリ自然保護区に入ると色々な動物が顔を出す(チベットカモシカ) サギの仲間?

食堂車

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野菜中心の中華料理 食事中に長江源流を通過

車窓から見る長江源流・沱沱(トト)河

グラタンドン山(6621m)

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列車の世界最高地点・唐古拉(タングラ)駅(5072m)には止まらないが、記念碑が見える。右は車内高度計

ニンチェンタンラ山(7162m)

エメラルドグリーンの措那湖(ツォナ湖)と周辺の湖沼群

羊の群

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黒いヤクか? 馬も

蛇行する川、近いうちに半月湖が生まれそうだ

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22:00ラサ駅到着
自然の景観、車内での語らいなど楽しい旅でした
西寧からラサまでの切符は509元(約8200円)
切符は全線だが、ゴルムドから途中乗車した



(6日目その1 ラサ滞在(ポタラ宮)

中国チベット自治区の区都ラサの人口は42万。ここに2日間滞在して、ポタラ宮、セラ寺、ジョカン寺、デプン寺、ノルブリンカ宮殿、西蔵博物館などを見学した。 「中国青海省とチベット(1)」では、「ポタラ宮」だけをを紹介し、他の見学地は「中国青海省とチベット(2)」で紹介する。

ポタラ宮

ラサのシンボルであるポタラ宮は、ダライ・ラマの宮殿である。 ポタラ宮の建設は7世紀に始まったといわれるが、本格的な建設はダライ・ラマ5世がチベットの政教両面の権力を握った1645年から。 これ以降、1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命するまで、ポタラ宮はチベットの聖俗両界の中心地であった。

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早朝、ラサのホテルを出て1人で付近を散歩する 朝から露店のお土産物屋が並ぶ

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ラサには、電車以外のあらゆる交通手段がある

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マニ車を回しながら巡礼する人 聖水が湧くところで水をもらう人 聖なるヤクのモニュメント

ポタラ宮は紅山と呼ばれる山の上に建つ。東西360m、南北300m、山を含めた高さは115mに及ぶ。1994年に世界遺産に登録された。
「ポタラ」というのはサンスクリット語で「観音菩薩が住むといわれる山の名」で、観音菩薩の化身とされているダライラマの居城である。

チベット人の見学者も多い

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115mの高さはすべて階段で上がる。 標高3650mの
高所での登りはきついが、それが高所順応に役立つ。
ポタラ宮は古い岩盤の上に建てられていることが
分かる

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坊さんも登る 登りついたところに入口がある

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ここから先は撮影禁止 許可された範囲で壁画を撮影

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ポタラ宮の見学コースは一方通行でここは出口 チベットの人達も記念写真

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スルー・ガイドのテンジュさんが、タルチョの説明をしてくれた。 旗には経文が印刷されており、旗がはためく度に、風が仏法を世界中に広めてくれると考えられている。   タルチョは5色で、物質の5元素(地水火風空)を意味し、黄=地、青=水、赤=火、緑=風、白=空、を表わすといわれるが、青=空、白=雲、緑=草原、という説明もあった。

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ポタラ宮の上から、橋の向こうに
青蔵鉄道のラサ駅が見えた
見学を終えた出口で、やっと待望の
斜めから見たポタラ宮の写真が撮れた



青海省の西寧をスタートしたラサへの旅の前半は、青海湖やチャカ塩湖を
巡る観光バスの旅、後半は青蔵鉄道でチベットの素晴らしい自然景観を
観察する旅であった。ラサでは待望のポタラ宮を見学した。

この後、ラサをはじめチベット各地の寺院を見学し、四輪駆動車でヒマラヤ
を越える旅は、「旅(2)」でご覧下さい。

中国青海省とチベットの旅(1)ではいかがでしたか。

中国青海省とチベットの旅(2)は、シガツェ、エベレスト展望、ヒマラヤ横断、カトマンズへの旅
です。 
引き続き、
下の [次へ] をクリックして、中国青海省とチベットの旅(2)をご覧下さい。


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